昔パチプロだった時の過酷な労働環境の話

2018年1月30日|パチンコ・パチスロ

私が昔パチンコ・パチスロで生計を立てるパチプロとして生活していた時の話をさせて頂きます。

何故、パチプロになったのか

私は今も昔も人に雇われるのが嫌いです。

元々パチンコ・パチスロは趣味で良く打ってました。

当時の私は趣味としてパチンコ・パチスロを打ちながらも、欲が強いのと気になった事はなんでもすぐ調べる癖のおがげで周りの友人と比べても圧倒的にパチンコ・パチスロや各機種に対する知識が付いていたんですね。

所謂、パチンコ・パチスロの「勝ち方」というものも自然と分かるようになっていき、元々自分の手でお金を稼ぎたいという願望があった私はパチンコ・パチスロで「脱サラ」しました。

今では環境的に厳しいですが、当時は「ハイエナ」と呼ばれる天井狙いやゾーン狙いの全盛期だったのでパチンコ・パチスロで生活レベルの収入を得るのはさほど難しくなかったように感じます。

1日13時間365日稼働

私は所謂ピンプロ(打ち子等を雇わず一人で稼働する)で、私自身が動かなければ1円にもなりませんでした。

自分の生活で精一杯で人を雇う程の余裕もありませんでしたし、人を使うというのも抵抗がありました。

稼働を休むのは病気や怪我をした時くらいなものでしたね(笑)

私が通うホールには私以外にも多数のプロが居ましたが、その大半は私と同じでほぼ毎日稼働しているような感じでした。

 

肩、腰は凝り固まり重度の肩こりと腰痛、腱鞘炎になって病院のお世話になった事もあるくらい過酷な仕事でした(笑)

首を痛めた時は病院で貰ったコルセットを付けたままホールに通っていた程です。

 

勿論、稼働は開店から(私が稼働していた地域は朝9時開店)早めに切り上げる事も多々ありましたが下見のために閉店前(22時過ぎ)は必ずホールを徘徊してました。

今考えれば身体を壊して然るべき労働環境ではありますが、当時は好きでやっていた仕事なので不思議と苦では無かったんですよね。

友達が減った

年中朝から晩までホールに入り浸っていたので友達は確実に減りましたね(笑)

飲みの誘いとか受けても明日イベントで朝早いから行けないなんて事は幾度もありました。

そんな私と今でも付き合ってくれている友人には感謝しかありません。

目を付けられたら終わり

これはホールにもよると思いますが、基本的にパチプロという職業はホールに目を付けられたら終わりです。

ホールで良く目にする「プロお断り」の張り紙はホールからの

「お前らなんかいつでも追い出せるんだよ」

という警告のようなものなのでしょう。

そりゃホールだってボランティアでやってる訳では無いので、お金を落とさない客なんてお呼びじゃありませんよね。

実際に私もパチンコの止め打ち・捻り打ちで何件か出入り禁止になった事があります。

優良ホールほどそういった「公平性」みたいなものにうるさいので大変でした。

本当はパチンコ・パチスロって公平性が無いから遊戯として認められているギャンブルなんですけどね。

そこまでしての収支は

そこまで切り詰めて一月の収支は平均でたったの30万円前後でした。

時給換算すると約770円です。

実際はホールにいると缶コーヒーと煙草が止まらないのでそれらを加味するともっと下がりますね(笑)

 

脱サラ直後は月平均50万円程度は稼げていたのでやはり年々のパチンコ・パチスロ業界の廃れはモロに影響していたのでしょう。

今後更にパチンコ・パチスロ業界が縮小、厳しくなってくる事を考えるとパチプロという職業は無くなるのではないかという気さえしています。

オンラインカジノとの出会い

そんな最中見付けたのがベラジョンカジノというオンラインカジノでした。

当時はあまり日本での知名度が無く、そんなものがあるなんて完全に初耳でものすごいトキメキを感じたのを今でも覚えています。

その時は勿論、仕事になんかするつもりはなく「遊び」としてオンラインカジノに初挑戦しました。

 

 

結果は+600ドル(約70000円)程度の大勝利。

実践時間はものの1時間程度でした。

 

 

当時の私はパチンコ・パチスロとの規模の違いに大きく驚いたんですね。

パチンコ・パチスロなんて1日打って20万円も勝てればお祭り騒ぎです。

それがオンラインカジノだと大したベット額でプレイした訳でもないのに彼女と外食しながらものの一時間で七万円の勝ちです。

ビギナーズラック的な要素もあったとは思いますが、私はこの最初の大勝のおかげで今現在オンラインカジノプロとして生活出来ているのだと思っています。

多分最初に大負けしてたら続けて無いですからね(笑)

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